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『コクリコ坂から』論


八月末。
花火やお祭りの時期が過ぎて、夏が終わるのを実感してきますね。


今回取り上げるのは、

studio ghibli

スタジオジブリ『コクリコ坂から』。

7月中旬に公開されたこちらの作品、公開中ではありますが、思ったことを。


※今回のブログは映画本編をふまえた内容となっています。まだ観られていない方はご注意ください。




スタジオジブリ『コクリコ坂から』論


―上を向いて歩こう


舞台は東京オリンピックを翌年に控えた1963年の横浜。
港のみえる丘の上に建つ「コクリコ荘」から毎朝海にむかって信号旗をあげる女子高生、松崎海(以下海)が本作のヒロイン。彼女の通う港南高校では趣のある文化部部室棟「カルチェラタン」の取り壊しをめぐって小さな紛争が起きていた。
「カルチェラタン」の取り壊しに反対する学生のひとり、風間俊(以下俊)と海が出会うことで「カルチェラタン」紛争は大きく動き出していく、それと同時にふたりの関係も大きく変化していく。

高度経済成長期を目前に、激動の時代の中で強く、みずみずしく生きていく少年少女たちの物語。

というあらすじ。

いくつかの切り口から『コクリコ坂から』を観ていきたい。


・現代に生きる少年少女に向けられたメッセージ

海の「コクリコ荘」を学生ながらに切り盛りする姿と、風を切って歩く姿には家庭的でありながらもたくましい女性像を見出すことができる。
また俊は週刊カルチェなる学校新聞を作り、古いものを大切にする気持ちを忘れない熱い男である。
映画を観る同世代の若者の思い描く”青春”をしているふたりではないだろうか。
まっすぐな心を持って、運命にぶつかっていくふたりの姿に胸を打つはずだ。

人がどう出会い、関わり、また愛していくか。

こんな”青春”をしてみたいと思った人は多いのではないか。
現代に生きる夢や希望を抱かなくなった若者に向けて、ショック療法のように真っ向から挑んできている。溢れかえった情報の波に流されて、人生という荒波を疑似体験した気になってしまっている若者も少し、パソコンから目を離して、空を見上げるようになったのではないか。

初めて俊の自転車の後ろに乗って、買い物に出かけた海。コロッケを食べながらひとりで坂道を登る海のバックで流れる「上を向いて歩こう」。海の表情からひとりぼっちの夜だけれどそこにどれほど明るい未来が待っているか想像できる。しかし、もう一度流れる「上を向いて歩こう」の場面はそうはいかない。
雨が降る日、急に態度が冷たくなってしまった俊を不審に思った海の問いかけに対し、ふたりが血のつながった兄弟だったということを知らせる俊。困惑する海。海の手を一瞬引き寄せる俊のなかに、煮え切らない気持ちがあるのがわかる。雨に打たれながら流れる「上を向いて歩こう」は、さびしい。

上を向いて歩こうがキャッチコピーとして掲げられた本作。嬉しくて、悲しくて、上を向く。現代においてそんな機会があるだろうか、そんな風に心の感情を整理する人がいるだろうか。

まっすぐな気持ちを思い出してほしい、まっすぐな気持ちに気付いてほしいというメッセージを感じる。



・1963年と2011年

本編冒頭、俊がボートから自転車を降ろし町へ向かう一場面。
道路を横切ろうとした俊の目の前にたくさんの車と排気ガスがでてくる。この一瞬だけで高度経済成長期に向けて社会が著しく発展し、いかに激動の時代であるかが伺える。

東京オリンピックを目前にした時代と今、『コクリコ坂から』は何を伝えようとしていたのか。

賛否両論が分かれる本作、あまり芳しくない評価の方々の中に絵が雑だったという意見がある。この原因のひとつとして、制作途中で東北大震災が起こったことで急きょ公開を早めた事情がある。
今回の東北大震災は日本という土地に、そこで生きる人々に大きな傷を残した。それに対して公開された『コクリコ坂から』は誠実なメッセージを私たちに送っている。

”紺色のうねりが のみつくす日が来ても 水平線に 君は没することなかれ”

劇中歌「紺色のうねりが」の始まりである。海に出て還らぬ人となった船乗りの父へ向けられた海の思いと、今回の東北地方を襲った大津波にのみこまれたすべてのものへ向けられた思いが重なる。
歌はこう続く。

”透明な宇宙の 風と光を受けて 広い世界に 正しい時代をつくれ”

地震と津波によって現在も制御不能となっている福島原発の風と光。私たちはそれを受け止めて、正しい時代をつくらなければいけないのだと思う。それは第二次世界大戦の敗戦から十数年を経て高度経済成長期に向かっていく舞台背景と重なる。
海も戦争という災害に父親を奪われたのである。それでも精一杯懸命に生きている。
私たちはどう生きていこう。



・『コクリコ坂から』の奥深くに眠るテーマ

海と俊の恋愛模様、またふたりの家族事情、文化部部室棟「カルチェラタン」取り壊しを軸にした学生運動。91分に詰められた様々なテーマを形作る『コクリコ坂から』の奥に眠るテーマそれは、

”子どもと大人”

である。
厳密にいうと”子どもは大人を越えられない”。海と俊の血縁問題を生み出し、そして解決に導いた大人たち、「カルチェラタン」取り壊し問題最重要人物の徳丸理事長。とかく子どもたちは大人に振り回されている。
いうなれば現代の頼りないというにはもったいないほどの大人たち、それに振り回される子どもたち、といったところか。大人はいつも何を考えているかわからず、でてきたらすぐに問題を解決してしまうトランプのジョーカーのような存在として描かれている。
ここにスタジオジブリに切っても切れない、宮崎駿と息子吾朗の関係が重なる。


・宮崎駿と宮崎吾朗―子は親を越えられるか

ゲド戦記を皮切りに宮崎吾朗の親越えという議論はたくさんあった。
ゲド戦記を経て、成功といえるだろう『コクリコ坂から』を作りあげた息子は父親を越えられたのだろうか。本作になぞらえて書いていこう。
海の父親は朝鮮戦争で戦死しており、物語は父親不在の状態である。父親不在、つまり越える存在がいないのである。これをなぞり、宮崎吾朗に比べる父親は存在していないと考える。しかし、息子宮崎吾朗は宮崎駿という父親を意識せざるをえないのである。

本編が始まり映し出される『コクリコ坂から』、そのリの部分だけなぜ赤くなるのだろうか。ジブリ映画の逸話にタイトルに”の”が入っている作品は売れるというものがある。それをなぞってリの中にはいっている”ノ”を強調したのであろう。宮崎吾朗はジブリを、宮崎駿をなぞってしまっているのである。これでは越える越えないの話ではない。
極めつけに、ジブリには母性の象徴として海や川が使われる、あくまでも象徴としてである(ポニョはテーマが母性であったので海に焦点をあてている)が、『コクリコ坂から』のヒロインは、海である。
海を象徴として捉えずに、表現の対象として捉えてしまっているのである。ここにどうしても越えられない壁を感じてならない。

そんな永遠の息子だからこそ決して逆らえない親と、中身のない大人を描くのが抜群に上手かったのではないか。


―というように様々なメッセージを感じる『コクリコ坂から』、個人的には魔女の宅急便の次に好きなジブリ作品となった。
写真立ての人物が前後半で別人になっているのと、朝お米を研いでいたのは誰なのか、という疑問は口頭で。

最後に、海と俊は結ばれたのだろうか。
海は俊のことを”お父さんの代わり”と言っていた。父親不在のこの物語では俊も不在になってしまう。最後に汽笛だけが聞こえ、ボートも俊も姿が映されなかったのも。海が旗をあげるのも。しかし、最後に旗をあげた海が上を向くのは決して、涙がこぼれないようにではないはずである。


長文にお付き合い頂いた皆様に感謝します。
あくまでも私的解釈による考察です。

これを読んでまた『コクリコ坂から』を観たくなってくれる方がいましたら幸いです。




小山

posted by: 日芸マス研 | シネマレビュー | 02:06 | comments(2) | trackbacks(0) |-
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ありがとうございます。
精進します。
| 小山 | 2011/08/30 11:48 PM |
「コクリコ坂から」みたくなりました。
今後も記事アップしてくださいね。楽しみに待ってるんですよ。
| yamashita | 2011/08/30 1:52 PM |









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