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Literary Arts Vol.3 女人芸術2010 完成!
 日芸マスコミ研究会が、深く関わっている文芸研究実習靴亮遜誌が長〜い時間を経てようやく完成いたしました!!

Literary Arts Vol.3  女人芸術
2010

です!!


表紙です。装丁は中村仁美さんです

以下、目次です!

《つづきは下の「続きを読む」をクリック!》
続きを読む >>
posted by: 日芸マス研 | Literary arts | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |-
森詠インタビュー 「私の少年記」
 はじめまして。部長の矢賀部です。
日記を書こうかと思ったのですが、毎日幸せいっぱいな私が書くと自慢ばかりになって反感を買ってしまうので、昨年度発行の「Literary arts」の記事をアップしたいと思います。

※Literary art … マス研で行ったインタビューや対談を発表している雑誌。年一回発行

今回アップする記事は昨年まで日芸で講師をされていた作家・森詠氏のインタビューです。
『那須少年記』は本当に感動的な映画でした。もし目にする機会があったら、ぜひ原作も読まれることをおすすめします。

____

私の少年記





森詠(mori ei

東京生。幼少期から高校卒業までを栃木県那須で過ごす。

フリーのジャーナリストを経て、1971年『黒い龍』で作家デビュー。ノンフィクションや冒険小説、ハードボイルド小説、『オサムの朝』『少年記 オサム14歳』を代表とした青春小説など、幅広いジャンルで活躍している。日本大学藝術学部文芸学科講師。

 

インタビューの前に

「文芸創作実習掘廖崗説論」の授業で教鞭をふるわれている、森詠先生原作の映画『那須少年記』が公開された。原作の小説『少年期 オサム14歳』は、少年の輝きと自然の美しさが心地よい感動を与えてくれる名作だ。映画は作品の舞台である那須で撮影された。那須の自然がストーリーをひきたて、その懐かしさ、美しさに悲しくもないのに涙が出た。製作には地元の人も多く関わっているらしく、森先生をはじめとした、那須の人びとのこの作品に対する熱い思いが伝わってくる作品だった。

 

 

――『那須少年記』拝見しました。鮮やかな景色が印象に残ったのですが、舞台となった那須には何歳の頃住んでいらしたのですか?

 

2歳半から大学に入る1920歳までですね。

 

 

――今回の映画には、思い入れの深い場所、景色も多く含まれている?

 

そうですね。まさにああいう景色の中で暮らしていました。

 

――原作『少年記 オサム14歳』を書かれたきっかけは?

 

先に小学生時代の『オサムの朝』という作品を書いているのですが、『少年記』ではそのオサム少年が小学生から中学生に成長していくわけですよね。僕は10歳、14歳、17歳、21歳という年齢が人間、特に男が成長するターニングポイントだろうと考えています。10歳の子供の時代、14歳の成長期、17歳の反抗期、21歳のちょうど大学を出るか出ないか辺りの人生の切れ目、そのターニングポイントを越えていく姿を追って書きたいと思っていました。『少年記』の場合は、『オサムの朝』の成長物語の第二段階として書いたわけですね。もうすでに高校時代の『那珂川青春記』、大学時代の『日に新たなり』も茂という主人公で書いています。

 

――その成長物語にはご自身の体験も多く含まれているのですか?

 

かなり入っていますね。小説の『少年記』では川底のトンネル潜りの場面がありますが、ああいった危険を伴う体験は男の子の通過儀礼のひとつなのですよね。そうした、昔ながらの子供が大人に成長するために通らねばならない世界が目の前にあったし、自分も通ってきました。

 

――では自伝的作品と言っていいのですか?

 

しかし自伝作品ならば「森詠」とすべきなのであって、「オサム」とした以上は、いちおう架空のストーリーです。でも、自分の分身の作品とも言えます。

 

――文庫版『少年記』では解説で文芸評論家の川村凑さんが、オサムとアキラだけが名前を片仮名にされているのは、当時多かった名前だけに、「誰でもオサムであり、アキラだったのだ」と、普遍的な存在にする意図があったのではと言っていますが。

 

僕自身意識していませんでしたが、言われてみればなるほどそうか、と思いました。普遍性をあえて狙ったのではないのですが、結果としてそうなっているのですね。

 

――映画化に至った経緯は?

 

先に『オサムの朝』が映画化していたので、もう一本作りたいとこちらから持ちかけたら、栃木県、那須塩原市をはじめとした地元の方々が喜んでと資金を出してくれました。こちらの、映像の綺麗な映画をつくりたいなという考えと、栃木県側の地元の美しさをアピールしたいという考えが一致して映画化に至ったわけですね。

 

――栃木県が一丸となって作り上げたのだとスクリーンからも伝わってきました。栃木県知事も出演していましたよね?

 

福田知事には医師役で出演していただきました。普通の観光映画になってしまわぬよう気をつけました。県や地元からは、那須地方の四季の美しさを現してくれと要望を受けていました。これが大変なのです。四季の折に撮影するのでは、とてもお金がかかってしまいますからね。

 

――他に苦労されたシーンは?

 

例えば荷馬車を探すのも大変でした。馬もサラブレットではだめ、大人しい荷馬でなくてはならない。乗るのは役者さんですし、怪我をさせちゃいけない。たった2カットだったのですが、探すのに2週間もかかりました。街並みを撮るにしても、どこを撮ってもビルや電柱があるしで、CGを使う手もありましたがお金がかかるのであまり使いたくなかったので、昔の街並みは出せませんでしたね。せいぜい映画館の通りくらいで、あの場面は足利市内で撮りました。

 

――先生も撮影には同行されたのですか?

 

同行しました。当時の状態を説明する必要があるのと、原風景がまだ残っているので、それを探す手助けをしました。監督が47歳と我々よりも若い年代なので、当時の様子を知らないのですね。例えば服装にしても、当時の男の子たちはシャツをズボンに入れていたわけですよね。そういう部分も細かく、地元の友人たちも一緒になって説明していました。

 

――地元の友人と言うと、作中で言うアキラや英雄たち、ということですか?

 

そうです。モデルになった人達も多く協力してくれました。

 

――そんな苦労を経て、先生がはじめて映画を観た際のご感想は?

 

完成作を観る前に、まずラッシュというものがあるんですが、その時点から「いい映画になるぞ」という確信がありました。映像は美しく、ストーリーは単純かつ感動的で、これはイケる、と思いました。なので、初めて観るときは自信をもって観ることができました。まず景色が美しいですし、かつての自分の思い出が洪水のように溢れ出してとても懐かしく、思わず涙ぐんでしまいました。

 

――主演の太賀をはじめ、アキラ役の塚田健太、英雄役の岡本拓朗、そして先生役で栃木出身の平山あやなど、印象的な役者ばかりでしたが、先生はオーディションやキャスティングには関わられたのですか?

 

ぼくは希望だけお伝えして、あとは初山監督にお任せしていました。キャスティングはキャスティング・ディレクターや監督のお手柄ですね。

 

――では先生もキャスティングには満足していらっしゃる?

 

満足です。平山あやさんは大月先生役にドンピシャだったなと思います。初め、監督は小雪さん、僕は松たか子さん、プロデューサーたちは蒼井優さんをそれぞれ希望していたのですが、どれもスケジュールの都合で上手くいかなくて。そのとき丁度平山あやさんが黒磯、まさに舞台の地の出身だと分かったのですね。駆けあったところ、地元の映画ならとOKをもらえました。しかしこちらの条件に黒髪で白いブラウスとロングスカートが似合うというのがあったのですが、彼女はバラエティでゆるいキャラの印象があるでしょう? しかし黒髪に戻して着替えてみると見事に大変身して、よく似合っていました。今じゃ彼女にして良かったと強く思っています。

 

――原作と映画で大きな違いがいくつもありましたが、オープニングのシーン、草原で半裸の少年たちが狩りをするという場面はどういう意図で入れられたのですか?

 

あのシーンはシナリオライターのミスミホノオさんが少年たちの伸びやかなシーンを出したいということで出来ました。14歳の伸びやかな肉体と精神の高揚を大自然の中で発散させているというイメージですね。あの草原も那須の牧場で、七月の若葉の過ぎた一番美しい時期に撮りました。

 

――原作で重要なアイテムとしてつかわれていた川もぐりのシーンが吊り橋渡りに変わっていましたが、やはり映像化が難しいのですか?

 

川もぐりを撮るにはまずお金がかかる。水中カメラを使わなければいけないし、救命スタッフや水中カメラマンを用意しなければならない。その上、子役たちにそういった危険を強いるわけにはいきませんからね。他に何かないか、と探した結果吊り橋になったわけです。そういった点では小説が強いですね。

 

――原作でも映画でも、「信頼と別れ」がはっきりとしたテーマとして描かれていたと感じました。現代の子供たちは携帯やパソコンによってそれきりになってしまう別れを経験しないのではと思うのですが、どう思われますか?

 

私たちの時代は幸せだったなと思います。携帯などによって別れが曖昧で、ハッキリ終わらないのは嫌ですよね。しかし、味気ないですが今だって片方がメールを切ってしまえばそれきりになってしまいますね。相手の番号をいつまでも取っておくなんていう名残もあるでしょう。昔だってひょっとして手紙が来ないかな、なんて思っていたわけだし、待ったりする恋の気持ちは同じかもしれませんね。

 

――栃木県では各市町村の四十以上の会館や文化ホールで上映されていますが、東京では恵比寿の東京都写真美術館での2週間のみでした。今後の全国的な上映の予定は?

 

栃木県での上映は、128日で一旦終わります。それまでに観客は合計で5万人を超えるかと思います。もう一度観たいという声が強いので、たぶん来年の春にも栃木県内で再上映するかと思います。その頃に、松戸や鎌倉、逗子、横浜、遠くは岡山、神戸、大分や、また東北6県でも一般公開していく予定です。来年が全国展開の年ですね。

 

――私は東京育ちなのですが、映画を観て那須の美しい景色と、その中でこうやって子供たちが育っていたんだと新鮮な感動をおぼえました。地元の人以外では、どんな人に見て欲しいと思われますか?

 

この映画は『三丁目の夕日』の田舎バージョンなのですね。地方出身の人にとっては、自然の豊かな景色が懐かしいというのは共通だと思います。もう一つは、携帯やパソコンなどの無い子供たちの素朴な姿、それを思い出して欲しいと思いました。そうですね、50代以上の人にまず観てもらって、ノスタルジアを感じてもらいたい。その上で、今の中学生や若者たちに、今とこんなに違うのだ、そして同じところもあるのだと感じてもらいたいですね。栃木県では大人だけでなく小学生中学生全員に見せるように教育委員会が取り計らってくれ、今も上映中です。

 

――最後に、先生にとって”14とはどんな時代でしたか?

 

夢がいっぱいあった楽しい時代でした。戻れるようなら戻りたいくらい位に。多感で、ありとあらゆる可能性が自分にあるように思えて、何も気にしないで遊んでいられる時代でしたね。懐かしいし、貴重な良い時代だったと思います。あの時代を過ぎなかったら今の自分はいないと思いますし、大事にしたい時代ですね。

 

――ありがとうございました。

posted by: 日芸マス研 | Literary arts | 16:15 | comments(0) | trackbacks(0) |-